PRO STAFF

SNOW BOARDER

布施 忠
布施 忠2

16歳でスノーボードを始め、18歳でプロ資格を取得しプロスノーボーダーとしてのキャリアをスタートさせる。
国内では数々のコンテストでダイナミックな滑りを、見る人全ての記憶に残す。その後も自身の表現を追求し続け単身カナダに渡る。時間を待たずして世界展開ブランドとのグローバル契約を機に世界中で実力が認められ海外超一流プロダクションで数々のフルパートを残す。TADASHIFUSE/TDFは世界中で通用するビッグネームとなり世界で認められた初めての日本人プロスノーボーダーだ。BURTON SNOWBOARDSからはシグネイチャーモデルを発表し、移籍後も数々のプロモデルを発表する。現在は日本中のまだ誰も滑ったことのない大自然の雪山を求め、常に危険と隣り合わせの中、精力的に自身の滑りを雪面に残し続けている。

布施忠/プロスノーボーダー 生年月日:1977年10月8日 出身地:山形県

藤田 一茂
藤田 一茂2

人生で初めてハマったスノーボードにのめり込み現在に至る。
滑りはもちろん、写真や映像制作、ライターやイベント運営、デザインとプロスノーボーダーとして幅広くこなすマルチプレイヤー。15歳の時に一目惚れしたスノーボードはその後の人生を決める事に十分な衝撃を与え、地元京都府の高校を卒業後にウィンタースポーツ専門学校JWSCビジネス科に入学。2年間の学生時代を終え卒業と同じくしてスノーボードプロ資格を取得する。プロ資格を取れば人生が変わると思っていた当時、何も変化しない現状を目の当たりにし、次のコンテストで有名ライダーを倒すべく猛練習に励む。そして翌年、国内最高峰のスロープスタイル大会「THE SLOPE 2009」にて海外招待選手を抑え堂々の優勝。しかし翌日の撮影中、自身のキャリアを左右する脛骨骨折という大怪我を負ってしまう。2年後、復帰の年となった2011年に開催された「TOYOTA BIG AIR」で日本人最高位となる5位に入賞し完全復帰を遂げる。その後、数年間の国際大会の転戦やグローバールチームでの撮影を精力的に行い、国内以外の世界のスノーボードシーンを身を持って体験する。2013年から現在に至るまでのスノーモービルを使った撮影活動が現在の様々な活動に通ずる自身の世界観を構築した。北米を中心に活動するHeart Filmsでの撮影では、北米を中心にカナダやアラスカをスノーモービルと共に旅をした。旅の中で得られた教訓は「自分の目で見なければ何も分からない。」という事や「スノーボードが与えてくれる幸福感。」だった。インターネットを通じて世界中に飛び回れる世の中にはなったが、実際に自分の目で見て、空気を吸い込む事で得られる事の大きさの違いを身にしみて感じ、自身が新しい体験を追い求める最中に得た経験を伝える活動も行うようになる。自身のブランドである「FORESTLOG」では映像制作やデザイン、物作りを行い、スノーボードのアートな側面やその魅力を表現。また2014年にはキッズスノーボーダーの育成にと「VINTEL SNOW CAMP」を立ち上げ、スノーボードやアウトドア、物作りなどを子供達が体験する事で心身の成長や夢や目標を持つことの大切さを伝えている。2017年には福島県地域創生プロジェクト「Diamond Route Japan」や新潟県妙高市でも国が推進する観光地域作りDMOのプロジェクトにも参加。スノーボード誌「FREERUN」アウトドア誌「WILDERNESS」等ではライターやフォトグラファーとしても活動し、言葉や写真でスノーボードの魅力を伝える活動も行う。プロスノーボーダーとしてライディングという幅を超え、現在も様々な場所にラインを刻み続けている。

藤田一茂/プロスノーボーダー 生年月日:1988年1月24日 出身地:京都府

太田 宜孝
太田 宜孝2

京都府向日市生まれ。京都府向日私立第五向陽小学校、京都府向日私立勝山中学校、履正社高等学校中退。
BURTON SNOWBOARD SCHOOLに勤務、1997年SALOMON SNOWBOARDSやNEONELEMENTS等各メーカーと金銭契約を結びプロスノーボーダーとして活動を始める。これ以降、国内外のコンテストやメディアで活躍し一躍トッププロスノーボーダーとなる。2009年株式会社太田商会の前身となるGRAVITYDESIGN設立。実家が剣道場を営んでいるので僕は幼い頃から竹刀を持って走り回っていた。道場では厳しい父も休みの日には家族を引き連れ近所の小川へ沢蟹捕りに連れ出してくれた。夏の暑い日も冬の寒い日も移動は家族4台でもっぱら自転車。写真や画が大好きな祖父の真似をして僕も画を描き始めた。もちろん祖父のように上手く描けないが、優しい祖父はいつも褒めてくれた。中学3年生まで住んでいた7階建てのマンション、その頃は度胸試し全盛の時代。幼い頃は僕も1階から7階まで樋を登ったり降りたりなんて無茶をしていた。だから学校でも美術と体育以外の勉強はダメ。スケートボードと出会ったのは小学5年生の頃。近所のスーパーで売っていた3千円のスケボーをねだって買ってもらった。スケートボードのいい所。それは移動手段にもなれば最高の遊び道具にもなる。そして社会から疎まれる存在だった事。一般的でない遊びにはストレスがつきもの。そんなストレスはスケッチブックや近所の高架下の壁に発散したり。悪い事と分かっていながらも、そこに表現するという魅力には勝てなかった。スノーボードと出会ってからもそんな考えは変わらない。一般的でないのはスノーボードも一緒だったからだ。22歳でプロになった頃に大好きなスノーボード用品のデザインを始めた。なけなしの契約金で買ったPowerBookG3を持って世界中を旅した。スキー場で僕がデザインしたウェアを使ってくれている誰かもわからない人を初めて見たときは大きな喜びに包まれた。そんな感情がきっかけで現在に至る。むりやり僕を初めてのスノーボードに連れて行ってくれた幼馴染は、僕が初めて作ったウェアを今でも着てくれている。

太田宜孝/プロスノーボーダー 生年月日:1975年3月7日 出身地:京都府

堀井 優作
堀井 優作2

サーファーの父親の影響から幼少の頃スケートボードに出会い、1993年の冬、真っ白なスキー場で初めてスノーボードと出会う。
父親はきっとプロサーファーにしたかったのだろう。でも彼はスケートボードとスノーボードに夢中になってしまった。街中を遊園地に変えてしまうスケートボーダーは一般社会から疎まれる存在だ。スノーボーダーも同じく雪山を縦横無尽に滑り回る、雪が降れば街中だって遊び場に変わる。こんな同じような環境の中で二つがリンクし、そして進化していった。コンテストにはさほど興味を持たない彼が熱中したのは、世界中の山々へ旅をし、そこで出会う新しい仲間やフィールドだった。山の状況や環境の良し悪しよりも、スノーボードを持って飛び回る旅から得られる、沢山の刺激や経験が何よりも重要だった。そんな自身のキャリアから、グローバルブランドでシグネイチャーボードやブーツを発表する。国内では、オリンピックや世界中のメディアで活躍する國母和宏が主導するプロダクションSTONPにも参加、数々の個性あふれる滑りを残す。現在は、サーファーでもある父親が運営してきたショップギャラリー「PANASH」の運営。そして弟であるアーティスト堀井良輔とともにアートやアパレルを発信する「DAYZE」を運営しながら、今までと変わらずスノーボードを持ち飛び回っている。

堀井優作/プロスノーボーダー 生年月日:1984年10月19日 出身地:兵庫県

石川 敦士
石川 敦士2

高校時代の名門サッカー部で培った根性と、人一倍の努力でみるみる頭角を現すようになる。
18歳からスノーボードを初め、2000年には、sclover3 のメンバーとなり、今まで以上に技に磨きをかけ、2001年には、NISSAN X-TRAIL JAMに出場を果たす。以降、スノーボード専門誌、数々のビデオパートにも登場。2006年には、SLOPESTYLE では並みいる海外強豪ライダー達を抑え見事2位に輝き、2008年同大会では優勝。2007年TOYOTA BIG AIRでは日本人予選1位通過。2009年TOYOTA BIG AIRでは本選10位。また世界でもコンテストに出場し結果を残すようになる。2009年には中国TTRとカナダで行われたTTR世界大会で表彰台にのぼる。コンテストシーンだけではなく世界を視野に入れ、海外ライダー達と撮影をして日々成長を続けるトップライダー。スノーボード用品開発や営業活動にも積極的に行い、シーン全体を盛り上げて行こうという意識も人一倍強く、メーカーからの信頼も厚い。現在のスノーボードシーンを牽引している存在の一人。勢いのあるライディングとサッカーで鍛えた強い足腰でコンテストからシューティングでパーク、ナチュラルヒット、ストリートレールとすべてをアグレッシブにこなすライダー。

石川敦士/プロスノーボーダー 生年月日:1977年10月14日 出身地:埼玉県

安藤 健次
安藤 健次2

5歳から釣りを嗜む。10歳からBMXを始める。14歳でスケートボードと出会い。20歳からスノーボードを始める。この全てが今も彼のライフワークとなっている。そして釣り以外の全てがプロとしての活動経験がある。イメージしたことを実際に体を使って行う性能たるや武井壮以上だ。まだまだ衰えない彼の今後に期待してほしい。

安藤 健次/プロスノーボーダー 生年月日:1973年生まれ 出身地:京都府(札幌在住)

大久保 勇利
大久保 勇利2

小学3年生の頃、兄の影響でスノーボードを始めた。のだが早速鎖骨を骨折してしまう。上達には基本が大切だと考えバスで地元札幌のスキー場へ友達と通い続ける。
中学2年生でプロ転向し、その翌年にはプロ戦で初勝利を収める。その後2017年FIS世界ジュニア選手権ビッグエアー優勝。
同年ワールドカップビッグエアードイツ大会2位。そして2018年冬季オリンピックでは日本代表選手としてスノーボードスロープスタイル・ビッグエアーに出場した。若干17歳にしてオリンピアンとなる。2019年シーズンは、コンテストに撮影にと世界中を飛び回る予定だ。

主な戦歴
2017年 F IS世界ジュニア選手権ビッグエアー優勝
2017年 ワールドカップ ビッグエアー ドイツ大会2位
2017年ワールドカップ スロープスタイル アメリカスノーマス大会6位
2018年 平昌オリンピック スロープスタイル 14位
2018年 平昌オリンピック ビッグエアー 18位

大久保 勇利/プロスノーボーダー 生年月日:2000年7月24日 出身地:北海道 札幌市

中井 孝治
中井 孝治2

11歳からスノーボードを始め、15歳という若さでプロ転向し、16歳からは全日本ナショナルチームに所属する。
そして2002年ソルトレイクオリンピック・2006年トリノオリンピックにも出場し、X-GAMEやTOTOTA BIGAIRなど数々のビッグコンテストで活躍した。現在ではシーズンを通して道内各地の斜面へアプローチし続け、ライブで映像でそして解説でもスノーボードの楽しさを伝えている。

中井 孝治/プロスノーボーダー 生年月日:1984年3月10日 出身地:北海道 札幌市在住

SURFER

金田 輝士
金田 輝士2

日本屈指のビッグウェーブプロサーファーの金田輝士。
両親の影響でサーフィンに出会い、中学生で本格的にサーフィンを始めた。15歳でサーフィン修行の為、サーフィン発祥の地の千葉県鴨川市へ単身移住し鴨川高校に入学。卒業後にはプロサーファーを目指しオーストラリアのビッグウェーブポイント、マーガレットリバーでテント生活をしながらサーフィン修行に明け暮れた。その後再び千葉県鴨川市に戻り、2004年に開催されたNSA東日本選手権大会にて優勝を機に2007年プロサーファーへ転向。自身の理想を追求し日本国内の海、そして冬にはハワイの海と向かい合う毎日を過ごす。ハワイでは、命懸けのチャレンジに明け暮れる本物のビッグウェーバー達と出会いその気高く偉大なる世界にのめり込む。昨年末10フィートを超える日本海のモンスターズラブにて大波に打ち付けられ、生死をさまよう。自身の判断と多くの助けもあり奇跡的に助かったものの、椎間板破裂、胸椎破裂骨折と歩行も出来ない程の大怪我を受けてしまった。そんな歩行も難しいと言われた中、これまでの長い経験で積み重ねてきた強靭な精神力と肉体で現在は驚異的な回復を見せている。今現在も毎日、復活に向けてトレーニングを重ねる。

彼は云う。「僕の復活は20フィートの波に乗ること」

ビッグウェーバーの名にかけて彼が復活する事を切に願う。

金田輝士/プロサーファー 生年月日:1983年2月28日 出身地:大阪府

FISHING

武山 俊則
武山 俊則2

山川湖 私の周りは自然に恵まれていた。
釣りという魅力に取りつかれるまで、さほど時間はかからなかった。近所の小川でフナ釣りに没頭した。日が暮れるまで何かに取りつかれたように…。ある日、父親に少し遠くの川へ連れていってもらった。今思えば大江川だった。そこで「ブラックバス」に出会う。10才の時だった。パワーがあり、何よりそのゲーム性に身も心も持っていかれた。今のようにルアーの数は多くなかったが、愛着のわくルアーばかりだった。そのルアーはアメリカンルアーだ。1日何十回、何百回とキャストしてはドキドキを追いかけた。がむしゃらに釣りを楽しんでいるうちに色々な発見、また疑問を感じるようになりはじめた。「このルアーもっとこうだったら」なんて感じに、私は見よう見まねでルアーを削り始めた。自分で初めてルアーを作った時は、当然動くわけはない。なぜ動かない。そこでなぜ動かないか、また疑問。色々試行錯誤し、第一弾、第二弾とルアーを削り続けた。探索する気持ちが私を前へ前へと進ませた。それからは、いつもいつも自分で作ったルアーで釣りをした。最初は釣れなかったが、それ以上のうれしさがあった。ただ釣りたいのであればもっと違う釣り方をしていたはずだから…。今でも覚えている。いつもと何の変わりもない平凡な夕方、ランドセルを投げ捨てすぐ川へと向かった。昨日出来上がったルアーをキャストするためだ。何気なくキャストしたルアーに思いがけない衝撃が走った…。その瞬間は今でも熱く脳裏に焼き付いている。ハンドメイドで魚を釣る「感動」これが私のRootsだ。この頃からRoman Madeは始まっていた。今では、フィッシング専門誌ルアーマガジンで特集を組まれ、アメリカでも著名な専門誌 OUTDOOR LIFE / BASS ANGLER MAG / AMERICAN BASS ANGLERS etcに取り上げられる。特に2014年にはFORBESLIFEにも掲載され多くに人々が驚いた。

武山俊則/ロマンメイドジャパン 代表 生年月日:1979年9月7日 出身地:岐阜県岐阜市

ARTIST

松山 智一
松山 智一2

幼少期はアメリカ西海岸に住む。
そこでスケートボードに出会いこのカルチャーの影響を受けながら育つ。その後飛騨高山に戻りスノーボードに明け暮れる冬を過ごしメディアにも取り上げられ世界を飛び回る。そんな過酷なシーズン中に10ヶ月も歩けないほどの大怪我を負ってしまう。病床でこれ以上は滑れないと覚悟した彼は、それからの一生をファインアートに捧げることを決断する。上智大学卒業後、2002年に渡米しNY私立美術大学院プラット・インスティテュートからコミュニケーションズデザインのMFAを取得する。アメリカNYにTOMOKAZU MATSUYAMA STUDIOを設立後、世界中の展覧会や個展で作品を発表。2013年にはハーバード大学にてアーティストプレゼンテーションを行い、個展も開催された。若い頃からの情熱を常に持ち続け、現代日本人ファインアートのパイオニアとなった彼は世界の大舞台でこれからも戦い続ける。

彼の作品は、アジア美術館/サンフランシスコ・ロイヤルファミリー/ドバイ・アラブ首長国連邦/スタンダードホテル(アンドレバラツグループ)/コスモポリタンホテルグループ/マイクロソフトコレクションなどのコレクションに常設されています。2014年8月には香港ハーバーシティギャラリー公共美術委員会に授与された。

松山智一/アーティスト 生年月日:1976年4月30日 出身地:岐阜県高山市